その男は学生でありながら大金を稼いだが、夢だった憧れの職業へ。一見、成功かと思われた男の人生の挫折、そして挫折&挫折。その時、男の決断は?

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投資に悩める40代サラリーマンの皆さん、こんにちは!お金のことで記事を書いてきましたが、ここで私のことを少し語ろうと思います。私の稼ぐことの原点から成功と失敗、そして挫折に決断、半生の(反省の?)物語前編を楽しんでください。

大儲け!学生をしながら代理店業!!

ちょうど二十歳の時、ラサール石井が京セラの携帯電話のCMをしてまして携帯電話もレンタルから個人所有に変わり始めた頃でした。通話料も安くなり大学生もちらほらポケベルから携帯電話やピッチに変わる頃で私も大学生でしたから、目の前にはお客さんがわんさか!その時代は携帯キャリアも契約が欲しい時で1台タダでも契約取れれば5万くらいは貰えていたので、今では考えられないくらいウハウハでした!

携帯電話で味をしめて、イベント業もいい感じに!

暇と金を持て余した大学生でしたので碌なことはしておらず、連日合コンでヒャッホー!そんなある日いつものように合コンをセッティングして仲間を集めて当日、「幹事やってくれたから、ここの払いは持つよ。」と言って貰えて…あれ?合コンって儲かる?と思ったら行動してました。男女4人づつの合コンで合コンで4,000円の儲けだから…100人同士の合コンなら10万も受かるんじゃね?楽しんで儲かるなんて「俺ってサイコー!」とめちゃめちゃアホ丸出しではしゃいでいたことを覚えてます(笑)

だけども夢物語でもなかったんです。携帯売りながら大学生のリストはあったのでとりあえず10対10くらいのパーティーから始めて、最終的には某ホール(名古屋では今でも有名な…)で600人程度のクラブイベントやるまでになりましたね。(でもね、そこまで行くと結構怖い話もあるんです…それはまた別の機会に…)

何にも残らなかった学生時代

社会人になったらもっと稼げると思っていたので貯金なんて考えずに、稼いで使って、稼いで使って、稼いで使って、使えば人脈が広がると思って、稼いで使って稼いで使って稼いで使って…結局、悪い大人に振り回されてなーんにも残らなかったですねぇ、まぁそれでもいろんな経験ができたからいいかぁ、程度にしか考えてなかったですね。就職先は決まっていたし、小さい頃からの夢の職業だから…

学校の先生になりました!

そうなんです、夢だったんですよ学校の先生が!念願叶って学校の先生になり、迷える学生を導くんだと情熱に燃えていましたね…が、しかし挫折しました、ただただ、挫折しました。思っていた教師と生徒の友情物語などなく、連日PTAからクレームクレームクレーム…その頃はうつ病などはあまり認知されておらず、職場からもパワハラで締め付けられて、病みましてね。お給料も手取りで13万円、ボーナスは5万円…

逃げるように地元に帰って

引きこもりはしなかったですが当時、流行っていたリサイクルショップでバイトをしていました。そこであれよあれよと店長になって(人がいつかず繰り上げでw)、そこそこ儲かってはいたのですが結局は他人の城で思ったようには稼げない。やっぱり自分で何かやろうかな、と思っていた時にある建築会社の求人で「完全歩合、やればやっただけあなたに還元!」と建築、不動産業界でよくある甘言を見てしまい、ちょっとあれな私は「これだ!」と数奇な運命を共にする建築業との初めての出会いがありました。

超ブラック、真っ黒クロな建築業界!

物を売ることを舐めてましたね。学生時代に携帯電話が飛ぶように売れて「売る」ことを完全に舐め腐っておりました。リフォーム営業をしていたんですが鳴かず飛ばずどころか、汚物を見るような目で見られ話どころか口も聞かずに追い払われ、水をかけられることもありました。給料も歩合でしたから、やっと家賃が払える程度で電気なんかしょっちゅう止まってましたし(知ってましたか?水は結構止まりません、待ってくれるんですw)ご飯は当時お付き合いしていた彼女に甘えてました。

彼女の妊娠、結婚!俺どうすんだ!

過去一、勉強しました。嫌味だけど売り上げている先輩に頭を下げ、飲み代出して教えてもらったり、ゆきつけの飯屋の大将にお願いしてトイレのリフォームさせてもらったりと考えられることは全部やったと思います。おかげでそこからは売り上げ上位に食い込むようになり、2ヶ月連続で売り上げトップや年末のカーポート売り上げ台数でメーカートップ賞を取ることができました。ついに時代が来たと子供も生まれここからだ、と勢いに乗っていました。

人の妬み、恨みを軽く考えていました

子供ができると人生って上向くもんなんだなぁと、また人生を楽勝に考えてしまっていました。まぁでも仕事も上手く行き、給料も稼げて家庭も幸せだからそりゃ多少は甘く見てしまいます。そんな折に一緒に働いていた工事部長に大工さんを紹介され「ぜひ、君の現場で使ってやってくれないか?」と、聞けば50代のベテラン大工さんで技術はしっかりしている。問題はないだろうと2つ返事でOKを出し次の現場をお任せすることになりました。

建築会社って多くは売ってくる営業と現場を指揮する監督とに分かれるんですね。私は営業だったので実は職人さんごとの実力や癖はわかっていなかったのです。

次の現場は社長の知り合いで気合いも入っていたので、私は営業でしたが監督業も自分でおこなっていました。その時の現場監督は皆一様に毎日社長に呼び出され、怒られ散々な立場だったので社長からも「大事なお客様だから監督を兼任してくれないか。」と頼まれていました。打ち合わせも順調で材料も揃え、いよいよ工事初日!ーーー事件が起きました。

いきなり壊し始め、家はめちゃめちゃに!

通常リフォームは壊さないところは養生と言って保護をして、埃などが他の部屋に行かないようにカバーをします。あろうことはその大工は突然壁を壊し始め、残材の散った床は傷つき大切にしているキッチンまでも埃まみれ、大惨事です。私も訳がわからず、奥様の悲鳴も聞こえる。大工を取り押さえてようやく聞けたことは「お前が養生してないから悪い」

聞けばその経験はあるが大工は素行が悪くどの建築屋も出入り禁止になっていて、昔馴染みの工事部長が引っ張ってきた人でした。これは後から聞いたことなのですが、どうも工事部長の目からは、新参者の私がいきなり成績を上げていき社長にチヤホヤされていることが気に入ってなかったようです。そして現場の事情も知っていて大工の素性も知っていてその人をあてがって来たようです。

「おまえ、現場に出て大工をやれ」

いや、耳疑うでしょ、聞き返しましたもん。先の現場は例の工事部長が後始末をつけるため有能な職人さんを率いて救世主のような扱いを受けたようです。一方で私は訴えられることはなかったですが、きつい社長からのお叱りの後、唐突に「おまえ、現場に出て大工をやれ」とタイトルにあることを言われてしまいました。現場に立ってお客様の心を知ってこい、と。

そんな綺麗なことではないのはわかっています。当たり前ですがクビにすると保証しなけりゃならない。こんな顔に泥を塗ったやつを保証なんてしたくない→追い込み人事ですね。明日までに返事しなきゃならないようです、子供も生まれたばかりでどうしよう…

さぁ、いったい私はどうするのか?迫る決断に出した答えは!

後編に続く…

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