明日、父の四十九日を迎えるにあたって僕の心に聞いてみた

「親孝行したいときに親はなし」
誰かの言葉じゃなくて、今の僕そのものだった。

明日、父の四十九日を迎える。
父が亡くなってから、まだ日が浅いのに、まるで遠い昔のことのようでもある。
最後はあっけなかった。年末に体調を崩し、検査の結果「末期の癌です」と宣告され、病院から家に帰ることなく息を引き取った。

僕は泣くことはありませんでした。特別好きだったわけではないですが嫌いだったわけでもありません。
ただ「もう会えないんだな」と思うだけでした。

父は典型的な昭和のサラリーマンだった。
朝は早く、夜は遅く、休日はゴルフか接待。家にはおらず、子供だった僕と目が合う時間なんてほとんどなかった。
一緒に旅行に行った記憶も、キャッチボールをした思い出もない。
大学に進学する年、父は海外に赴任した。
そこから30年間、日本には帰ってこなかった。

それでも、僕は恨んではいない。
感謝はしている。
父が家族のために頑張ってくれていたことは、わかっていた。
僕が教師になって、会社員になって、独立して、失敗して、借金を背負って、また働いて…。
父はそのほとんどを知らない。

でも、だからこそ思う。
もっと話せばよかった。
もっと聞けばよかった。
もっと、「父と息子」をやってみたかった。

今、この記事を読んでいるあなたが、40代なら──たぶん僕と同じだ。
日々の仕事に追われ、家のローンや子供の学費が重くのしかかり、時間も気力も削られていく。
親と話すことも、会うことも、いつの間にか「面倒なこと」のリストに入ってしまう。

だけど──

「そのうち」「また今度」「時間ができたら」
そんな言葉は、あっという間に通用しなくなる。

僕は父に「ありがとう」も「寂しかった」も、言えなかった。
タイミングを逃したのではない。
「時間がある」と思い込んでいたから、動かなかっただけだ。

ここで一つ、冷静な現実と向き合ってほしい。
あなたの両親、特に父親の年齢を想像してみてほしい。

65歳? 70歳?
今が元気でも、突然体調を崩すことは珍しくない。
年末に元気だった父が、3月にはもういなかった。
健康診断も受けていた。何も異常はなかった。
それでも、突然「誕生日までは‥難しいかもしれません。」と言われたら、あなたはどうする?

でもね、人間って意外と「何もできない」。

葬式で親戚に囲まれても、言葉は出てこない。
写真を眺めても、心は動かない。
悲しみよりも、喪失よりも、「空白」のほうが大きかった。

だから、言わせてほしい。
「親孝行は、今すぐやるべきだ」って。

これは誰かのためじゃない。あなたのためだ。
後悔しないためでもない。誇れる記憶を作るためだ。

●今すぐできる親孝行って、何か大きなことをする必要はない
●一緒にランチに行くだけでもいい
●電話して、近況を聞くだけでもいい
●「ありがとう」と口に出すだけでも十分すぎる

やらなかったことは、後悔にならない。
「思い出がない」ことが、ただただ虚しいだけだと思う、自信はない。

「親孝行」と聞くと、どこか重たくて気恥ずかしくて、先送りにしがちだ。
でも、人生において「今やらなきゃいけないこと」って、実はシンプルだと思う。

そして、この記事を読んでいるあなたが、もし自分の子供に「大切な思い出を残したい」と思っているなら──
まずは自分が、親との関係をもう一度見直してみてほしい。
僕はそれをしなかった。だからこそ、言える。

今、僕が伝えたいのはたった一つ。

「もう親に会えない」という現実に直面したとき、胸に残るのは後悔じゃない。
空白だ。
何もなかったという事実が、ただただ寂しい。

親が元気なうちに。
会えるうちに。
声をかけられるうちに。
あなたから、動いてほしい。

最後に。
僕は父に感謝している。
愛していたかどうかは分からない。
でも、もう少しだけ話をしたかった。

その気持ちを、あなたには間に合わせてほしい。
「今さら」なんて言わずに、「今から」やってほしい。
LINEで一通、電話で一言。
それだけで、未来が少しだけ変わる。

父の四十九日を迎える僕が、あなたに伝えたかった本当のことです。

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